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東京地方裁判所 昭和52年(行ウ)354号 判決

原告 櫻井たかよ

被告 国

訴訟代理人 成田信子 宮門繁之 他一名

主文

1  原告が日本国籍を有することを確認する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

主文と同旨の判決

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決

第二原告の請求原因

一  原告は、昭和一一年五月二三日、日本国民である櫻井源七を父とし、同きくを母として、長野県下伊那郡清内路村一一番地において出生し、日本国籍を取得した。

二  ところが、昭和四七年九月二九日自己の志望によつて中国国籍を取得したため日本国籍は喪失したとして原告は除籍された。

三  しかしながら、原告は自己の志望によつて中国国籍を取得したことがなく、したがつて、現に日本国籍を有するものであるから、その確認を求める。

第三請求原因に対する被告の認否及び抗弁

一  請求原因に対する認否

請求原因一及び二の事実は認めるが、同三は争う。

二  抗弁

原告は、以下に述べるとおり自己の志望によつて中国国籍を取得したため日本国籍を喪失したものである。

1  中国の国籍取得制度について

中国国籍がいかなる場合に付与されるかは、中国の国籍法規で定められるところ、自己の志望によつて中国国籍を取得できるか否かは実定法上明らかでない。しかしながら、現に中国国籍の取得を希望する者からの申請に基づいて入籍(国籍の付与)が許可されたことを証する書面(中華人民共和国許可入籍証書。以下「入籍証書」という。)が入籍人に交付されているところから、申請に基づいて中国国籍を付与する制度が存するものと認められる。

また、中国人と婚姻した外国人妻は、当然に中国国籍を取得することはなく、外国人妻が中国国籍の取得を希望する場合は、国籍取得の申請をする必要があるとされている。

2  原告の身分、生活関係について

原告は、日本で出生した後父母兄姉と満州に渡つたが、同二〇年一〇月一五日母が死亡し、続いて同二一年一月一五日父が死亡したため中国人に養育された。そして、同二七年一二月中国人と結婚し、同二八年頃黒龍江省延寿県中和四区から同省双鴨市に移住した。この頃から原告は外国人(外僑)証明書(以下「外僑証明書」という。)の交付を受け始め、その後、中国官憲から一定期間ごとに外僑証明書の書き換え通知を受けていたが、同省延寿県中和公社に再移住した同三八年頃になつて中国官憲からの右通知がなくなり、その後は外僑証明書の交付を受けていない。同五一年四月三〇日、護照を所持して渡日した。

3  日本国籍の喪失について

前記2の事実から、原告は、昭和二八年頃から同三八年頃までは外国人として中国官憲には握されていたが、その後、外国人とは握されなくなつた、つまり中国人としては握されたことが認められる。そして、原告は日本人父母の嫡出子として日本において出生していることから、出生によつて中国国籍は付与されないこと、いつたん外国人とは握された後には何らの身分行為は認められないこと、及び結婚によつても中国国籍は付与されないことから、申請による中国国籍の取得以外の国籍取得の原因は認められず、原告は自己の志望によつて中国国籍を取得したといわざるをえない。

なお、原告の中国国籍取得の時期は、昭和三八年の直前と考えられるが、我が国の国籍を喪失する時期については、昭和三八年当時我が国は中華民国政府を唯一の合法政府として承認していたことから、中華人民共和国政府が原告に対してした入籍の許可をその時点で我が国が容認することはできず、我が国が中華人民共和国政府を承認した昭和四七年九月二九日に右入籍許可の我が国法上の法的効果が生ずるものとして、右昭和四七年九月二九日に日本国籍を喪失したものと取り扱うこととなる。

第四抗弁に対する原告の認否

抗弁2の事実は認めるが、同1は知らず、その余は争う。

第五証拠関係〈省略〉

理由

一  請求原因一及び二の事実については、当事者間に争いがない。

二  そこで、原告が自己の志望によつて中国国籍を取得したか否かについて検討する。

1  証人醍醐隆の証言によると、中国の外交部担当官から在中国の日本大使館の担当官に対して中国人と婚姻した外国人は婚姻によつては中国国籍は取得しないという口頭の説明があつたこと及び中国から我が国への里帰り者の中には本人が申請し内政部が審査して許可する旨の入籍証書を所持している者が多数あることが認められ、右事実と成立に争いのない乙第二号証を合わせれば、中国には申請に基づいて中国国籍を付与する制度が存すること及び中国人と婚姻した外国人妻は当然には中国国籍を取得しないものとされていることが推認される。

2  抗弁2の事実については当事者間に争いがなく、原本の存在及び成立に争いのない甲第一六号証、成立に争いのない乙第五号証、証人醍醐隆の証言によつて真正に成立したと認められる乙第六号証並びに同証人及び証人櫻井文七の各証言並びに原告本人尋問の結果(後記採用しない部分を除く。)を合わせると次の事実を認めることができる。

(1)  中国においては、昭和二八年頃には外国人は外僑証明書の交付を受けるようになり、原告も、同二八年頃から同三八年頃までの間は一定期間ごとに外僑証明書の書き換え通知を受け、外僑証明書の交付を受けていたが、同三八年頃になつて右通知が来なくなつたため、中和公社派出所員于徳海に問い合わせたところ、県から通知がないのなら必要ないのではないかという趣旨の回答を得、そのまま放置していたので、その後外僑証明書の交付を受けていない。(原告が、昭和二八年頃から同三八年頃までの間は外僑証明書の交付を受けていたこと、及びその後は交付を受けていないことについては、当事者間に争いがない。)

(2)  被告所部係官は、昭和五三年四月二六日、在日本の中華人民共和国大使館領事部係官から、中国護照は中国国籍を有する者にのみ発給され、無国籍者や外国人には発給されないということを聴取した。

(3)  原告は、入国時に入籍証書を所持していなかつたが、血統的日本人であつて中国国籍を取得したため日本国籍を喪失した者のなかにも、護照は所持しているが入籍証書は所持せずに入国する者がある。

(4)  在中国の日本大使館の参事官は、中国では、昭和四九年までは日本大使館が帰国のための渡航書を発給していればそれによつても中国国籍を有する者の出国を認めていたが、同五〇年になつて中国国籍を有する者については護照でしか出国を認めず、帰国のための渡航書を返還しない限り出国させないという取扱いになつた旨被告所部係官に報告している。そして、原告は、昭和四七年夏、在中国の日本大使館から国籍欄に不動文字で日本と印刷された帰国のための渡航書の交付を受けたが、同五一年三月頃、右渡航書を返還するように言われれ、郵便で返還した。

以上の事実が認められ、右事実と前記争いのない事実を合わせると、原告は、昭和三八年頃から、中国国籍を取得した者として中国官憲には握されていたと認めることができる。原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は採用しないし、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  ところで、国籍法第八条にいう「自己の志望によつて外国の国籍を取得したとき」とは、表見的に外国国籍の志望取得の形式がとられただけでは足りないのであつて、真に志望取得の意思をもつてなされたものであることが必要であると解されるところ、原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和三八年以前から日本に帰る希望をもつていたこと及び原告自身としては中国国籍を取得する手続はしていないことが認められ、また、前掲証人醍醐隆の証言によれば、代理人による申請によつて中国国籍を取得できるかどうかについては不明であることが認められる。そうして、これらの事実に照らすと、前示原告が中国国籍を取得した者として中国官憲には握されていた事実が認められるからといつて直ちに原告が真に中国国籍の取得を志望して申請したものとまでは推認することはできず、他に右事実を認めるに足りる証拠はないものというほかない。被告所部係官としては、前記のとおり原告が護照を所持して帰国したことから原告が中国国籍を取得したものと認められるところ、申請による取得以外に国籍取得原因が見当らないところから一応原告の申請によるものではないかと推測したのであるが、前記醍醐証人の証言によれば、原告の中国国籍取得が本人の意思によるものか否か中国側に照会したのに対し、なんらの回答がなかつたことが認められる。従つて、被告所部係官としては、他に確認の方法もないところから、原告が自己の志望によつて中国国籍を取得したものとして取り扱つたものであつて、右取扱いについては己むを得ない点もあるけれども、本来原告が有していた日本国籍を喪失した原因については被告において立証責任を負担するものであるし、中国側から回答がないことにより事実関係が明確になならないことの不利益を原告に帰すわけにもいかないのは当然である。以上の次第で、原告が自己の志望によつて外国の国籍を取得したことについては、これを認めるに足りる証拠が存在しないから、原告は、日本国籍を喪失したものと認めるわけにはいかないい。

三  結論

よつて、本訴請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤田耕三 菅原晴郎 北澤晶)

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